私と氷の出会い
私と氷多形研究の出会いは、高校1年生の春にさかのぼります。2015年4月3日、私は東京大学本郷キャンパスの理学部1号館・小柴ホールにいました。「東大理学部 高校生のための春休み講座 2015」2日目の講義に参加するためです。
最後の登壇者は地殻化学実験施設 准教授の小松一生さんで、タイトルは「アイスセブンティーンを探せ!」でした。ここで私は当時の氷研究のトレンドについて授業を受けたはずなのですが、申し訳ないことに、実のところほとんど内容は憶えていません。いろいろ思い出そうとしたのですが、以下の4つくらいしか思い出せませんでした。
- 高い圧力をかけると、ふつうの氷とは違う氷ができ、その中にもいろいろな種類があって、見つかっている氷の数が当時16だったこと(今思うと、結晶構造の異なる氷の話をしているのだが、当時は「結晶」というものがなんなのか理解していなかった)。
- 見つかっている氷をまとめたスライド(今思うと、そのスライドには相図が描いてあったはずだが、中学を卒業したばかりの私は相図という言葉は知らなかった)が黒色を基調としたデザインで、見た目がかっこいいなと思ったこと。
- 枝分かれのある木のような形をした高圧の氷の写真が綺麗だったこと(今思うと、DACを使い、メタノール/エタノール混合溶液中で成長させた、氷VIか氷VIIのデンドライトの偏光顕微鏡写真)。
- まだ新しい氷が見つかるはずで、「押してダメならもっと押せ」というのがキーフレーズとして連呼されていたこと(今思うと、他にも新しい氷を探すキーフレーズは絶対にあったはずだが、それ以外は記憶にない)。
しかし、逆にいうとこれは相当内容を覚えているほうだと私は思います。というのも、「東大理学部 高校生のための春休み講座」「東大理学部 高校生のための冬休み講座」には何度も参加して、20近く講義を聞いているはずですが、タイトルや内容を憶えている講義はこれ以外にありません。
ふつうの氷と違う氷があるという事実と、16番目の氷が見つかってもなお、見つかっていない氷があるはずだという小松さんの話は、私にとってとても印象的なものになりました。うまく言葉にできませんが、それが大学の研究は面白そうだと思った最初の出来事です。受験に際して文系に進むか悩んだり、進学振り分けでどの学部に進むか悩んだりと、常に「氷の研究をしたい!」という思いだけでここまで進んできたわけではなかったですが、それでもなお、小松さんとの出会いは私の原点として、ずっと頭の片隅にあり続けたように思います。
結局、紆余曲折ありながらも、小松さんのいる鍵研究室で、鍵さん・小松さんのもと研究をすることになり、実際に氷の研究を自分の手で進めていくことになりました。高校生のときに、大学での研究生活についてもいろいろ話を聞いたはずなのに、結局氷のこと以外はほとんど覚えていないということは、それが自分が純粋な好奇心をつぎ込める対象なのだろう、という気持ちがあり、この研究室に入ることに迷いはありませんでした。「氷」との出会いを与えてくれた先生のもとで研究できるのは、何にも代えがたい思いがあります。
実際に、2015年の「アイスセブンティーンを探せ!」の講演から、私の研究室配属までの6年間で、17番・18番・19番の氷(氷XVII・氷XVIII・氷XIX)が見つかりました(つまり、アイスセブンティーンは実際に存在した!)。そして私が卒業論文を書いている頃には、18番目の氷が見つかったのと似たような高温高圧条件でまた新しい氷(氷XX?)が見つかったという論文が公開されました。そして、いまの私自身、まだまだ見つかっていない氷が、相図のどこかに存在するはずだと思っています。
大学院生になったいまでも、氷には調べても調べてもわからないことばかりで、研究対象は尽きることがありません。それを自分の手で明らかにしていくといえば聞こえはいいですが、実際には実験がうまくいかないこともあれば、経験のなさゆえに何から手をつけていいかわからず、途方に暮れることもあります。やりたいこと、やるべきことに対して自分の無力さを感じることばかりで、それでも研究をやはり愉しいと思えるのは、高校1年生の春、あの日感じた好奇心が、今になっても私の心に灯火として宿っているからではないか、と思います。その灯火の熱量だけで、少しずつでも歩き続けられるのではないか、と。
だから、私の根源的な研究の動機は「新しい氷を見つけたい」というところにあります。新規相探索にはそれなりに学術的な意味があり、私もそういった学術的な興味があって研究をしていますが、私が研究を諦めずにいられるのは、なによりも素朴な知的好奇心であり、まだ見ぬ未知の氷への憧憬だと感じます。どこまで研究者を続けるか、いまはまだわかりませんが、氷の研究を続ける限り、あの日の灯火を大切に、心に灯し続けていたいものです。