今月の論文紹介

論文紹介 (2023年)

読んで面白かった論文を、不定期に紹介しています。

  1. Dynamically and structurally heterogeneous 1-propanol/water mixtures.
    The Journal of Chemical Physics (2023) https://doi.org/10.1063/5.0170504

    1-プロパノールと水の混合割合をいろいろ変えて冷やしていき、ダイナミクスと構造の両面を解析した論文です。 誘電応答と熱測定のデータが議論の根幹にあり、構造データはそれを補完する役割という印象を受けましたが、アブストの語り口をみると著者はそうは思っていないかもしれません。 水とアルコールはよく混ざりますが、ミクロにはあまり混ざっていない、というようなシナリオが提案されていますが、これはかなり誘電応答屋さんのものの見方であるというような感想を持ちました。Fig6-8の解釈は面白いです。 例えば小角散乱や全散乱といった構造データと整合的なのでしょうか?気になります。

  2. RMC: progress, problems and prospects.
    Nuclear Instruments and Methods in Physics Research Section A: Accelerators, Spectrometers, Detectors and Associated Equipment (1995) https://linkinghub.elsevier.com/retrieve/pii/0168900294009260

    PDF解析は確かに強力な構造解析ツールですが、一方でPDFをやっていない人からすると、どこか万能な方法のようにも思えてしまう点できちんと理解するべきだな、と思っていました。 この論文はそれなりに古い論文ですが、RMC法の原理的な問題点や限界などにも触れられており、かつそれが当時の時点でどのように改善・対策されてきたかということが述べられています。 古い論文といって侮るなかれ、とても興味深く、また構成や英語も読みやすく、勉強になりました。

  3. 3D electron diffraction analysis of a novel, mechanochemically synthesized supramolecular organic framework based on tetrakis-4-(4-pyridyl)phenylmethane.
    Acta Crystallographica Section B Structural Science, Crystal Engineering and Materials (2023) https://scripts.iucr.org/cgi-bin/paper?S2052520623007680

    この論文にたどり着いたのは、スイスの電子回折計メーカーであるELDICOのホームページにリンクされていたのがきっかけでした。ELDICOは電子回折に特化した回折計を製造販売している会社で、横向きに電子線を照射する非常にユニークなジオメトリーの装置を取り扱っています。この装置は、電顕を兼ねるような従来の回折計と比べて電磁レンズの配置がシンプルで、クリーンなデータが得られるというのが売り文句のようです。IUCrのブースでもかなり細かく話を聞かせてもらい、私の研究に対するかなり具体的な提案までしてくれて親切な企業という印象があります。

    この仕事はELDICOの回折計を用いて、supramolecular organic framework (SOF)のビルディングブロックになる有機物質の新しい結晶構造を決めた、という仕事です。どちらかというと方法論の仕事なので、その構造の妥当性や手法の信頼性を注意深くチェックしているというテイストで、SOFとしての化学はあまり前面には押し出されていませんが、回折計の真空中においても、ゲストの原子は完全には抜けきっていない、というのがサイエンスパートの結論のようです。

    テクニカルには、3つの異なる結晶の回折データを総合してdynamical refinementを行うと、どのように構造モデルが改善するかということを議論していたのが、とても面白いなと思いました。dynamical refinementはかなりコストが高いですから、そのあたりの知見がたくさん溜まっていって、経験則が形作られてくるのがまずは大切なのだろう、と推察しています。

  4. Persistent Homology and Bond Orientational Order in Ir–Cu Solid-Solution Alloy Nanoparticles: Implications for Electrocatalysts.
    ACS Applied Nano Materials (2023) https://pubs.acs.org/doi/10.1021/acsanm.3c02860

    金属ナノ粒子の応用の華型のひとつが、触媒材料としての応用で、特に異種金属をドープしたようなナノ粒子で触媒能が上がるという仕事はかなり精力的に様々な場所でやられているような印象があります。しかし、ナノサイズゆえに構造評価が難しく、EXAFSを用いた二体相関関数の計測などが主な構造解析手法になっている、と私は理解しています。 この論文はSPring-8チームからの仕事で、Cu-Irナノ粒子の構造をSPring-8/BL04B2における高エネルギーX線(61.35 keV)を用いた全散乱測定と、そのRMC法を用いたナノ粒子構造モデリングから議論し、触媒能が向上する理由を解析しよう、という趣旨の研究です。

    いろいろすごいと思った点はあるのですが、まずパーシステントホモロジーと呼ばれるトポロジー解析手法を用いてナノ粒子の構造をトポロジカルに解析しようとする試みです。この手法はアモルファス材料の構造のcharacterisationに有力であるというふうに提案され、主に理論計算の人が使っているイメージでした(e.g., Hiraoka et al., PNAS, 2015. "Hierarchical structures of amorphous solids characterized by persistent homology")。このようにRMC法を通じて実験とスムーズに接続できるのではないか、というのは私も思っていて、実際にきれいに行われているのをみて感嘆しました。バルクではなく、ナノ粒子にも適応できる有力な手法であると再認識できました。

    また、触媒としての物理化学特性を説明するようなdiscussionにもかなり説得力があり、こちらも新しい化学の時代を感じさせる内容に思います。EXAFSと比べるとG(r)の信頼性はかなり上がっているように思うので、これから吸収と散乱をどちらも行って、総合的に組み合わせて解釈していくような仕事は盛んに行われていくのだろうな、と感じるようになりました。

  5. Quantitative three-dimensional local order analysis of nanomaterials through electron diffraction.
    Nature Communications (2023) https://www.nature.com/articles/s41467-023-41934-y

    こちらはIUCrで聞いた話で、気付いたら論文が出ていました。以前、Yttria-stabilised zirconiaのX線と中性子の3D-ΔPDF解析からyttriaまわりの局所構造の解析をした論文を紹介しましたが、そこに電子線での観測を加え、議論を発展させた続編の仕事です。 私は散漫散乱のコミュニティの外にいるので、電子線で強度の評価がきちんとできるだけですごい!と感じてしまっていたのですが、IUCrでのセッションでは、もう技術的にはどんどん材料研究に応用して行きますよ、というようなフェーズに入っているような雰囲気を感じて、よりすごいなぁ、と感じました。

    テクニカルに重要だと思ったのは、論文最終版でkinematical approximationの正当性を議論した部分です。実際には多重散乱効果はかなりあるはずですが、かりにkinematicalに解析したとしても、中性子やX線の散漫散乱データから得られる構造情報と同一のものが得られているから、3D ED測定でkinematical approximationのもとでの解析には一定の妥当性がある、というのが主張だと思います。 説得力はありますが、それをきちんと明示的に論文に書くということはそう簡単なことではないでしょう。その点でも尊敬に値する仕事です。今後の仕事も楽しみに待ちたいと思います。

  6. Synthesis of 3,3'-dihydroxy-2,2'-diindan-1,1'-dione derivatives for tautomeric organic semiconductors exhibiting intramolecular double proton transfer.
    Chemical Science (2023) http://xlink.rsc.org/?DOI=D3SC04125E

    分子内のプロトン交換が起こるような有機分子系で、dynamic disorderなのか、static disorderなのかをNMRと結晶構造解析から明らかにしようとした研究です。 論文は、一見、エネルギー的に同じに見えるような2つのコンフォメーションが、実は微妙に違うエネルギーを持つという(かなり衝撃的!)事実が明らかにされ、データが綺麗に解釈されて終わります。とても美しい仕事で、プロフェッショナルの共同研究はすごいなぁ、と感じました。

  7. Anisotropy in spinodal ‑ like dynamics of unknown water at ice V – water interface.
    Scientific Reports (2023) https://doi.org/10.1038/s41598-023-43295-4

    東北大の新家さんの仕事で、これで私の知る限り三作目になる連作です。 氷多形(I, III, VI)の表面に生じる、バルクの液体とは異なる屈折率をもち、境界をもつ液体層の観察で、新しく氷Vに対しても実験を行ったという内容です。 いずれの仕事でも、その液体層は密度が異なる、というのが鍵となる主張をなしています。 今回の論文の後半ではスピノーダルに対して提唱されているモデリング手法を応用して、その生成のダイナミクスの特徴づけを試みています。 丁寧な実験と解析でとても面白い仕事だと思いました。

    しかし、この観測結果をLLCP仮説(過冷却領域で密度の異なる二つの液体が存在するという仮説)と結びつける部分はやや腑に落ちない部分もあります。 もう少しじっくり考えてみたいです。

  8. Creation of crystal structure reproducing X-ray diffraction pattern without using database.
    npj Computational Materials (2023) https://www.nature.com/articles/s41524-023-01096-3

    トヨタのR&Dチームからの論文で、実験的に取得されたXRDパターンから構造を予測する計算手法の提案です。 Evolv&Morph と名付けられたこの手法は、まず多数の構造モデルを自動的に作り出し、そこからXRDパターンを計算し、実験データとの類似性スコアの高いものを探していく、というのが基本的な考え方になっています。 構造探索の際には、第一原理計算を用いてエネルギー的にできるだけ安定な構造を得るようにしていて、 学習なしで現実的な構造が得られるように工夫されています。 計算科学の論文ですが、私のような実験屋さんにもわかりやすいよう、step-by-stepで書かれているのもとても参考になりました。 応用を期待します、私も使ってみたいな。

  9. Predicting emergence of crystals from amorphous matter with deep learning.
    arXiv (2023) https://arxiv.org/abs/2310.01117

    アモルファスの加熱などで生じる結晶相はしばしば熱力学的最安定相ではなく、準安定な多形であることは非常に多くの物質で実験的に示されています。 これはオストワルドの段階則の速度論的表現によって理解でき、準安定相への核形成のエネルギーのほうが低いため、thermally activated processとしてそちらが卓越する、と理解されています。 しかし、こうした準安定相の結晶化をコンピューターによる計算で予測することは依然難しいと考えられていました。 今回Googleのグループから出版された論文では、機械学習ポテンシャルを用いてアモルファスの局所構造の結晶化に至るパスを調べることで、多数の酸化物などにおいて結晶化してくる多形を正確に予測することができた、という報告がなされています。 結晶化メカニズムの計算からの研究にも、また新規物質の探索にも使えそうで、非常に面白い手法だと感じました。

  10. Hydrous wadsleyite crystal structure up to 32 GPa.
    American Mineralogist (2023) https://doi.org/10.2138/am-2022-8380

    鉄入りの含水 Wadsleyite β-(Mg,Fe)2 SiO4(含水量0.25および2 wt%)の単結晶X線回折を32 GPaまで行い、水素の状態に関する考察を行った論文です。Wadsleyiteはorthorhombic cellをもつ空間群Immaの構造をもちますが、水を取り込むことで対称性が低下してI2/mのmonoclinic structureになることが知られています。したがってこのa軸とc軸のなす角をモニターするのが一つ関心になるわけですが、回折実験の結果、10 GPa付近から急激にβ(monoclinic angle)が増加するという面白い事実が明らかになっていました。各軸の圧縮率のデータ(Figure 3)を見ると、a, b軸は含水量が多い方がより縮みやすい一方、c軸ではその関係性が逆転しています。これがmonoclinic angleの増加の直接的な原因です。

    なぜこのような構造変化がもたらされるのか、X線回折から得られる間接的な情報ではありますが、水素の秩序化によって説明しようとしています。誠実に丁寧に議論されており面白いと思いました。

  11. Structure determination of ζ-N2 from single-crystal X-ray diffraction and theoretical suggestion for the formation of amorphous nitrogen.
    Nature Communications (2023) https://doi.org/10.1038/s41467-023-41968-2

    固体窒素の多形であるζ相の構造を単結晶XRDで決めたという内容で、それをサポートする粉末の結果と、DFT計算を用いた電子状態の議論がセットになっています。 私は結晶学に興味があるので単結晶のパートに興味がありました。54から86 GPaまでの圧力点4点でそれぞれレーザー加熱をしたのち、室温に回収してきて単結晶の測定をしています。実際には多結晶なのですが、非常によく絞った高エネルギー放射光X線(ビームサイズは書いてない)で比較的大きな結晶が得られている領域を探し、そこで回転スキャンをするという方法で、いくつかの多結晶体からの回折パターンとして構造を解いています。Methodsが詳しく書いてあるのがありがたかったです。

    Reviewerのコメントが非常に建設的で、やりとりを見るにかなり良い方向のmajor revisionとなったことがうかがえます。良い仕事だと思いました。

  12. The hydrogen-bond network in sodium chloride tridecahydrate: analogy with ice VI.
    Acta Crystallographica Section B Structural Science, Crystal Engineering and Materials (2023) https://scripts.iucr.org/cgi-bin/paper?S2052520623007199

    うちのグループからの論文ですが、卒業生の山下さん・中山さんの仕事で、 NaCl 13水和物の構造を 中性子回折・理論計算により議論した内容です。この水和物自体は半年前くらいにJournaux et al. (2023) PNAS.に出ておりまして、その点では先を越されてしまったのですが、方向性の異なる仕事でどちらも色あせることはないと思います。 私もグループ内であまりちゃんと聞いたことがなかったですが、とても良い仕事だと思いました。氷VIとの類似性やその水素秩序相との比較、その理論計算によるvalidationと流れるように続いているのが良いです。先輩たちの良い仕事を読むとencourageされますね。

  13. In situ temperature measurement in the pressure chamber of diamond anvil cell.
    Review of Scientific Instruments (2023) https://doi.org/10.1063/5.0137583

    DAC内部の温度を正確に測るためにガスケットを温度計にするという仕事。熱平衡に達した後は、いわゆる従来の方法で測定した温度とそこまで大きな差はなく、 主に温度を変えているときの熱勾配などがきれいに見えるようです。 Figure 2を是非ご覧ください、すごい執念です。

  14. Effect of nitrogen molecules on the growth kinetics at the interface between a (111) plane of cubic ice and water.
    Journal of Chemical Physics (2022) https://doi.org/10.1063/5.0106842

    灘先生の結晶成長の仕事で、大気中での結晶核形成の際にice Ihではなくice Icが生じているのではないか、という実験的な仮説をMDシミュレーションを用いて研究したものです。氷の六角形の構造の中心に窒素分子がバインドされると、そこからice Ihのレイヤーの生成がinduceされて、結果として生じるice Isdのcubicityが下がる(しかし、逆にそれ以外の場所にいる窒素はice Ihの核形成を促進しないので、窒素の濃度がその確率をコントロールしている)、という面白い研究です。雪や雲の中の氷がこういった方法で研究できるのはとても興味深いと感じました。

  15. The crystal structure of Fe2S at 90 GPa based on single-crystal X-ray diffraction techniques.
    American Mineralogist (2022) https://pubs.geoscienceworld.org/ammin/article/107/4/739/612818/The-crystal-structure-of-Fe2S-at-90-GPa-based-on

    IUCr2023のMultigrain crystallography sessionでのClaireのプレゼンは素晴らしく、かなり有力な手法であることを再確認しました。この仕事はFe共存下で生じるFe2Sの結晶構造をその手法で決めた、という論文で、後に続く論文の基礎となった重要な仕事です。

    LHDACで高温に持っていくと結晶成長が進み、数µm以上あるような、 powder としてはクオリティが低い試料が得られることはしばしばあります。しかしそれを欠点と捉えず、むしろスポットがしっかり見えていてindexしやすい試料と考えて、単結晶構造解析の手法を適応して構造を解くという話です。タイトルでは単結晶X線回折、となっていますが、実際には数百個の結晶を全部まとめて解析するという方法で、考え方はserial crystallographyに似ていると思いますが、確かにもっと単結晶的な手法(ソフト)が使われている印象です。ぜひFigure 2のXRDパターンを見てみてください、ここから未知の構造が解ける時代なのか、と感激しました。

  16. Electrolyte Permeability in Plastic Ice VII.
    The Journal of Physical Chemistry B (2023) https://pubs.acs.org/doi/10.1021/acs.jpcb.3c01576

    2 GPa以降のかなり広い圧力範囲で安定なice VIIですが、計算では古くから水素原子がサイト間を自由に動き回るようなプラスチック状態の存在が示唆されています。 最近、実験では高温高圧でice VIIに対応する超イオン状態(水素がfreeに動く状態)の存在が示唆されましたが、実のところice VIIとは異なる相が存在しそうであるというデータが報告されただけで、実際の水素の状態はよくわかっていないのが実情です。

    本研究ではplastic ice VIIに対してLi+, Na+, K+, F-, Cl-といったイオンがどのように取り込まれ、どのように氷と相互作用するのかを古典MD計算で調べています。 「本音」のモティベーションがここにあるのかは不明ですが、こうしたイオンの取り込みはバルクの(plastic) ice VIIの電気的特性を大きく変化させると考えられ、実際にこうした氷が地下に存在する氷惑星・氷衛星の深部環境を考える上で大切です。 また、背景には実験でice VIIには大量の塩が取り込まれるということがわかってきて(e.g. Klotz et al., Nat. Mat. (2009), Watanabe et al., Japanese Journal of Applied Physics (2017))、plastic ice VIIにも同様の議論が成り立つだろう、というような考えもあると思います。

    イオンを取り込んだ氷のRDFを計算したFigures 3-4を見ると、タイトルを読んだ際の予想より、かなり明瞭なイオン種依存性があり、 純粋な驚きがありました。 特に、 F-とCl-の違いは非常に明瞭に出ており大変興味深いです(氷の類似物質として有名なNH4Fがありますが、それ以外のハロゲンに置換したアンモニウム塩、たとえばNH4Clとは異なるpolymorphismを示すことを思い出します)。 F-とCl-の違いはイオンのmobilityの温度依存性にも明確に表れており、異なるintereactionをしていることがわかります。

  17. Deuteration-Enhanced Negative Thermal Expansion and Negative Area Compressibility in a Three-Dimensional Hydrogen Bonded Network.
    Chemistry of Materials (2023) https://pubs.acs.org/doi/10.1021/acs.chemmater.3c00870

    ある方向に押せば押すほど膨らむ物質や、冷やせば冷やすほど膨らむ物質が見つかると素直に面白いですが、これはかなりそういった性質が顕著に出ている水素結合性の有機結晶を作ることができた、という報告です。面白すぎる。 さらに面白いのは、重水素化によりさらにnegative area compressibilityを上げることができ、史上2番目に大きなnegative area compressibilityをもつ結晶を作ることができた、ということです。具体的には、常圧相を加圧していくと0.9 GPa付近でパッキングが少し歪んだような相転移が起こり、このphase IIがnegative area compressibilityを示すということのようです。

    なぜこのような現象が起こるのかについてももちろん考察されていて、完璧には理解できなかったのですが、水素結合を安定化しようとする力が駆動力になっていると理解しました。この物質は水素結合性で、具体的には分子間にCl-イオンが位置して、これと水素が水素結合するという仕組みなのですが、高圧相(Phase II)では、もともとあった空隙が潰れ、全体がよりpackedな構造になる犠牲に、水素結合が弱くなるようなひずんだconformationへと変化しています。このときに、カチオンがシート状に連なった構造の隙間にClイオンが入り、水素結合を安定化させようとして周りのシート状構造に対して反発するので、そちらの方向へ圧力をかければかけるほど膨らむというメカニズムが提案されています(おそらく)。

    interactionが多く、結晶構造を捉えるのが難しいですが、現象は大変面白かったです。

  18. Single-atom vibrational spectroscopy with chemical-bonding sensitivity.
    Nature Materials (2023) https://www.nature.com/articles/s41563-023-01500-9

    タイトルがうまい……。今や原子配列が美しく見える電顕像をみても驚かなくなってきてしまいましたが、非常に美しいSTEM-EELSの実験です。 Siをドープしたグラフェンには、Siに3つの炭素が結合する形式と、4つの炭素が結合する形式との2種類の構造が存在するそうで、それらをEELSで打ち分けることによって異なるSi-C結合から来るフォノン振動の違いを検出してやろう、というものです。 装置の工夫としてはoff-axis EELS geometryを使うことによっていわゆるダイレクトビーム位置(電顕の言葉では別の言い方だったりしますか?)をEELS検出器からずらしてやることで弾性散乱などに由来する不必要な信号を減らしてやって、高い空間・エネルギー分解能を実現することに成功したそうです。

    ADF像を取得しながら取得されたフォノン領域のEELSスペクトルは、まずpure grapheneとは異なり、80 meV付近のピークが有意に低エネルギーシフトしています。 これはSTEM-EELSマッピングからもSi周辺のみ損失エネルギーが異なることが明らかです(Fig. 1f-g, すごい!)。 肝心の配位環境の異なる部分の比較ですが、定性的に理論計算で予測されるPhDOSの傾向と一致し、かつ3配位と4配位のSi-Cで少し異なる形状を示します。 さらに、不純物をSiからNに変えた系でも同じ実験を行なって、不純物の重さによるフォノン振動の違いを議論しています。CとNは、CとSiに比べるとほぼ質量が同じなので、フォノン振動に与える影響も非常に小さいということがスペクトル からわかります。

    改めてすごい時代に生きていると云う感じがします。乗り遅れないようにしたいですが……?

  19. Unlocking the Structural Mystery of Vaterite CaCO3.
    arXiv (2023) http://arxiv.org/abs/2306.08228

    炭酸カルシウムの多形のひとつであるvaterite(日本語ではファーテライトと発音することが多いようです。英語的にはヴァテライト)の構造解析の論文です。 基本的なバイオミネラルで、とっくに構造が解かれていそうですが、実は複雑なdisorderを含み、過去に複数の構造モデルが提唱されていて、いまだ決定版は得られていないのが現状です。本研究では天然試料のvateriteに対して主に電子回折法による構造解析を試み、空間平均構造として提唱されていたhexagonal構造ではなく、monoclinic構造で取ると綺麗に説明できること、そして1つのvaterite構造の中には炭酸イオンの配向が異なる積層構造である3種類の"polytypic"なドメインが存在できることを示しています。 興味深いのはこのうち1つの積層シーケンスに関しては実験でも、また計算で結晶化させた試料に対しても現れず、エネルギー的に不利であるという点です。
    電子回折法を用いたvateriteの局所構造解析はこれまでも行われており、部分的には今回のデータと似たように、3つの局所構造が提案されてきました。今回はHAADF法による実空間イメージングによって直接stacking sequenceのvariantを可視化している点が強力な証拠になっているように思います。

    論文の最後には計算実験による2次のorder-disorder転移の存在が予測されています。すぐ実験で見えそうですが、そんなに簡単な話ではないのかもしれません。

  20. Chiral phonons in quartz probed by X-rays.
    Nature (2023) https://www.nature.com/articles/s41586-023-06016-5

    円偏光した放射光X線を使ったResonant inelastic X-ray scattering (RIXS)を用いて右水晶と左水晶中のカイラルなフォノンを検出することに成功した、という内容です。 O K edge付近でのRIXS測定はSiO4四面体の配列のカイラリティに敏感で、きれいな円偏光二色性を示します。 RIXSは電子励起プロセスを含むので、電子軌道の空間分布の情報を反映し、たとえば今回であればフォノンモードがO 2pの形状を反映して二色性を示していることが述べられています。 O 2p軌道の空間形状の変化はその酸素原子周辺にquadrupole momentを作り出すため、phononモードはmagnetic momentのキャリアとしてはたらき、たとえば偏極中性子非弾性散乱のような手法でも今回の現象が検出できる可能性が示唆されています。いわゆる偽のカイラリティ(空間反転のほかに、時間反転によっても右手系と左手系を行ったりきたりできるケース)の場合には磁化が作られないため、たしかにこれを中性子散乱で直接観察するのも面白そうですね。
    キラルフォノンの直接観察はホットな話題のようで、ほかにも偏光プローブを用いたラマン分光法による観測(e.g. Ishito et al., Nat. Phys., 2022)がありますが、RIXSはエネルギーを調整し適切な吸収端に合わせることで、元素に比較的specificな情報を得ることができ、かつラマン散乱では不活性なモードに対しても測定を行える点が長所と理解しました(もちろん、短所もあるでしょう、素朴な短所は実験室でできないこととか……)。

    しかし、文章がとてもわかりやすく、全てわからなくても、一読すれば主要な主張はわかるような印象です。さすNature。この分野の専門家の方が読むとまた違うのでしょうか。

  21. Hydrogen-bonded structures and low temperature transitions of the confined water in subnano channels.
    Spectrochimica Acta - Part A: Molecular and Biomolecular Spectroscopy (2023) https://doi.org/10.1016/j.saa.2023.122912

    「比較的小さい」1次元のチャンネルを持つAlPO4-11のチャンネル内にどのように水が入るのかを、おもにIR吸収分光法によって調べた仕事です。水蒸気に結晶を晒すと、すぐに水がしゅっと入るわけではなく、1時間程度の時間をかけてゆっくりと吸着されていきます。OH伸縮領域にはいくつかの異なるピークが現れてきており、直接的にこれらをassignするのは難しいのですが、ほかの系でのスペクトルとの比較から解釈を与えています。特にシャープなピークは比較的freeなOHに、3200 cm-1付近のブロードなピークは四面体形の水素結合ネットワークにassignされており、説明の中には本当にそうなのか確証はないものもありますが、少なくともかなり異なる状態のOHが共存していることはスペクトル からわかり、興味深いと思います。こうしたナノ空間にトラップされた水が水素結合ネットワーク的な構造をもっているという例はほかにもありますが、たとえばそうした分子が感じているchemical pressureみたいなものから、氷と関連づけた議論ができたら面白そうだな、とおぼろげに思っています。

  22. Tracking C – H activation with orbital resolution.
    Science (2023) https://doi.org/10.1126/science.adf8042

    よくありそうな(?)Ru錯体 CpRh(CO)2 からCOがひとつ取れてCとHがくっつく反応(化学専攻とは思えない表現力ですみません……)をXFELと放射光X線を用いたX線蛍光吸収分光法 @ Rh L edgeでピコ秒〜ナノ秒のオーダーでトラックするという仕事です。 具体的にはC-Hがくっつき(これが光反応)、その後C-Hが解離するというステップらしいのですが、この解離する前のC-HがくっついたRh錯体は有意にpre-edgeの吸収が大きく、それを2p→LUMO transitionsが低エネルギー側にシフトする、つまり、LUMOのエネルギーが低くなる、という解釈で説明しています。さらに、類似の反応性が低いと報告されている構造類似種について、なぜこの反応が起こりにくくなるのかについても説明しています。

    ピコ秒と書きましたが、Fig. 1を見るとsubピコ秒の分解能があります。これはすごいことです。あまりにさらっと出てくるのでそんなもんか〜と読んでしまいますが、非常に大変な実験だと思います。 様々な工夫があるのでしょう、ぜひ装置をいつか見てみたいです。

    また、私は特に理論計算の素晴らしさが際立っていると感じました。 XFELでピコ秒分解能をもつX線分光をやることは簡単ではないですが、取れるのはいわゆる教科書にあるようなX線吸収スペクトルであることに変わりはありません。 そこにこれだけの豊かな解釈を付け加えることができるのは、信頼性の高い理論計算によるものでしょう。 あまり明るい分野ではないので詳細は理解できていませんが、本文中に提示されている理論と実験の比較はほぼ一致しています。 そもそも、ここまで理論計算を一致させるためには、まず研究者(人間)が化学反応をきちんと理解しているということが大前提ですし。 ひとつひとつの解像度が高く、それをパズルのように組み合わせて綺麗なサイエンスになっています。良い仕事でした。

  23. Chemical crystallography by serial femtosecond X-ray diffraction.
    Nature (2022) https://www.nature.com/articles/s41586-021-04218-3

    X線自由電子レーザー(XFEL)を使って微小結晶の構造を決定するテクニカル論文です。 大きな単結晶が得られない場合にはX線粉末回折や電子回折を使うことになりますが、粉末で解くのが難しいような低対称性かつおおきな単位胞をもつ結晶や、電子線に弱く容易に分解してしまう試料には使えません。 そこでXFELを用いて、フロー式にたくさんの微小結晶を流し、たくさんの回折パターンを取得して構造を解くserial crystallographyが威力を発揮します。この方法はたとえX線に弱い試料であっても、いわゆる"diffract before destruction"の原理で、超短パルスX線を用いてきわめて短い露光時間で十分な回折パターンを得ることができます。 今回はタンパクほど大きな単位胞をもたない有機錯体結晶のserial crystallographyで、実際に構造を解くことができたという内容なのですが、その過程で面白い工夫がなされています:フロー法を用いて何万もの結晶の回折パターンを取得すると、個々の結晶とX線の方向関係(UB matrix)がわからないので、indexするのが簡単ではないのですが、今回は逆転の発想で、得られたspottyな回折パターンを粉末パターンに変換する手法を開発することによって、粉末回折の解析用に作られた1次元d-spacing空間でのアルゴリズムを用いてセルを立てることができる、という点が工夫です。

    serial XRD patternsからDIALSでのスポット検出を経て再構成された粉末パターンはGSAS-IIでindexされていますが、通常の粉末回折に比べてピークをよく分けることができているので、極めて常識的な本数のピークでもde Wolfのfigure of meritをもとにした「ふつうの」indexingを行うことができています。ピークのピックアップが手動と書いてあって一瞬びっくりしましたが、dials.find_spotsで抽出したピークを使って粉末パターンを再構成しているので、手で拾えるもの=DIALSが拾ってくれたもの、で問題ないのでしょう。dials.find_spotsはピークのcriteriaさえはまってしまえば(しかもX線のデータであればなおさら)正確にピークフィットすることができる印象です。 ここで決めたセルを使って各ピークを積分し、charge flipping法を用いて構造を決めることができ、既報の構造が存在するものについてはそれをよく再現し、未知構造についても同様の正確性で求めることができているということです。 1次元化して粉末にしてしまうとわかりにくくなるような微妙な空間群も、構造がある程度の精度で求まるのであれば、結果を眺めながらいくつかのモデルでrefinementを行うことで、どちらが良いかある程度の議論はできるように思います。 まさに単結晶回折と粉末回折のいいとこ取りと云えるのではないでしょうか。

    実験室で行われるような単結晶および粉末X線回折のユーザーが、自然に使うことができるステップで、XFELでのフロー法での構造解析ができるという技術の進歩に感嘆しました。いつか使ってみたいです。

  24. Electron Diffraction of Water in No Man's Land.
    Nature Communications (2023) https://www.nature.com/articles/s41467-023-38520-7

    読みやすい長さだけれど密度が高い、古き良きNatureの面影を少しだけ感じる論文です(すき)。 液体の急冷や氷Iの加圧で作ったアモルファス氷(LDA, HDA)は加熱すると160 Kほどで結晶化し、また液体の水も冷却することで230 K前後で結晶化してしまいます(もちろん、圧力により温度は変わります)。 これらの温度に挟まれた温度領域では結晶化が速やかに進行し、「通常の」実験では結晶状態の水しか観測することができません。 この領域にある液体の水を見たものは誰もいない、という意味で、この温度領域にはno man's landという名前がついています。

    no man's landでの液体の振る舞いは、水の様々な異常性を説明できるモデルが提唱され(Poole+, Nature)、盛んに研究されてきましたが、結局、間接的な証拠しか得られておらず、いくつかの説が平行線のまま論争が決着していません。 ここ10年ほど、超短パルスX線を用いたpump-probe実験により、no man's landを探索する試みがなされてきましたが、この仕事はそれを電子回折で、かつ、アモルファス氷の超高速加熱ではなく、液体の水の超高速冷却によって行おうとするものです。 実験技術的にもっとも特徴的なのは試料の温度調整方法です。 まず100 Kほどまで冷却した氷試料を532 nmの緑色レーザーで瞬間的に加熱し、約10 µsで室温の液体に戻します。 その後、レーザーを一時的に切って急冷し、目的の温度に到達したところで、熱平衡を与えるような出力のレーザーを再度連続的に照射して温度をキープし、およそ10 µs待ったあとに、その温度での回折パターンを取得する、という流れです。すごい。

    以前出版された、XFELにおけるpump-probe実験でHDAを加熱する実験(Kim, Amann-Winkel et al., 2020, Science)では、同じような温度で10 µs後には結晶化が部分的に始まっていましたが、ここではその兆候は見られません。X線の実験では薄くても35 µmほどありましたが、今回は176 nmですから遥かに薄いです。 TEM観察可能なレベルで薄い試料だと、事情が違うということなのでしょうか? また、電子線照射によって結晶化が抑制されているということもありえるでしょうか? あるいは、結晶状態を経由して作ったアモルファス氷には、なにかしらのメモリー効果があるのかもしれません。 面白い実験であるとともに、まだやるべきことがある、とも思える仕事でした。

  25. Low-Density Amorphous Ice Contains Crystalline Ice Grains.
    arXiv (2023) https://arxiv.org/abs/2305.03057

    低密度アモルファス氷(LDA: low-density amorphous ice)はいくつかの方法で作ることができ、もっとも基本的な方法が液体の急冷です。 このアモルファスが液体に対応するガラス状態なのか、それとも結晶性の性質をもち、非常に微細な結晶の集合ととらえるべきものなのか、議論が続いています。 この仕事はMD計算で液体を急冷しLDAを作り、そこにある程度長距離秩序があるドメインがあるかを調べることで、LDAがどれくらいの結晶性をもつか検討しています。 面白いのは、計算実験において冷却速度を変えると(もちろん、どれも実験では難しいくらいとても速い速度です)、少しずつ結晶性のドメインが増えるということを示している点、そして実験のPDFによく一致するPDFを与えるのはある程度ゆっくり冷却したLDAで、およそ30%の結晶性ドメインをもつ、という結論になっています。 計算実験でもこれだけ顕著に冷却速度依存性があるのは興味深いです。 また、逆に結晶をどんどん細かくしていって、どこでLDAの実験PDFに一致するかも調べていて、やはり結晶性が30%くらいのモデルが良いようです。

    実験的にも異なるパスで作ったLDAは部分的に異なる構造を持つ氷Iへと相転移します(より正確には、異なる積層不整をもつ氷Isdへ結晶化します)。 これは、それぞれのパスで作ったLDAが、少しずつ違う量の「結晶性ドメイン」をもっていることをサポートしている、というふうに述べられて論文は終わります。 説得力のある主張だとは思いますが、ではLDAは液体とは結びついていないというところまで云えるのかは不明です。 たとえば部分的に結晶化する相分離的なモデルで説明がつくのであれば、LDAはガラスと結晶の混ざりものかもしれません。 この論文の著者の他の論文を読むと、彼らにはなにかもっと言いたいことがあるような気がしますが、どうでしょうか。続報に期待したいと思います。

  26. Local density changes and carbonate rotation enable Ba incorporation in amorphous calcium carbonate.
    Chemical Communications (2023) http://xlink.rsc.org/?DOI=D3CC00959A

    Caイオンの一部をBaイオンで置換したような非晶質炭酸カルシウム (CaCO3・n H2O, ACC) に関する理論計算で、なぜ大きなBaイオンが炭酸カルシウムの固体中に取り込まれるのかという問題に取り組んでいます。 MD計算で作られたACCのPDF(G(r))やRDF(g(r))をBaの置換量を変えて調べるというシンプルな仕事ですが、そこからBaイオンが入ると第一近接の炭酸イオンが回転することで、近くのCaイオンがbidentate carbonate ionと配位するようになってそれを受け入れる、という結論になっています。

    カーボネートの回転がflexibilityを生み出すのはきわめて自然な結論だと思うのですが、私が面白いと思ったのは私たちの研究室の最近の研究との類似性です。 この論文では引用されていませんが、私たちの研究室では最近ACCを経由して最大60%のCaをBaに置き換えたようなカルサイト中で、炭酸イオン内のC-O結合の回転歪みおよび、カルサイトのスタッキング方向に対してイオンが傾くような歪みが生じており、かつそれがdynamic disorderではなく、static disorderになっているということを報告しています(Saito+, Minerals; Marugata+, J. Solid State Chem.)。 今回の仕事は、カルサイトの前段階のACCでも似たようなことが起こっているというふうにも、またカルサイト中よりもよりACCのほうがflexibleにBaイオンを受け入れている、というふうにも解釈できます。 しかし、結果的に結晶にもACCにも同じような量のBaイオンがどっさり入ることは変わりありません。もうすこし直接的な証拠が得られるとなお面白いかも、と思ったりもします。ほかにもいくつかアイデアがあるので、隣の席の後輩さんにもで吹き込んでおこうと思います。

  27. Characterization of just one atom using synchrotron X-rays.
    Nature (2023) https://www.nature.com/articles/s41586-023-06011-w

    タイトルがうまい。ベースは走査型トンネル顕微鏡なのですが、放射光X線で励起した電子のうち、仕事関数より高いエネルギーを持つもの(これをX-ray ejected electronsと呼んでいる)をSTMのプローブとのトンネル電流を観測することでcharacteriseしてやることで、STMのほうに原子分解能があるので、X線で色がつく測定(XASとか)が原子分解能でできる、という仕組みです。Extended Data Figure 1がわかりやすいです。X線分光法を用いると化学状態の分析ができるので、これは強いです。STEM-EELSよりシンプルに理解できそうな仕組みであるように感じましたが、実践的にはどうなのでしょうか?

    ちなみに、似たようなコンセプト(つまり、小さく絞ることができないプローブと、ナノスケールで走査できるプローブを組み合わせた局所観察)は他にも、たとえばAFM-IRなどがあります。AFM-IRについてはこちらのレビュー論文 (Dazzi and Prater, Chemical Reviews, 2017)に詳しいです。やはりAFMにIRで色をつけられるというのが強いです。

  28. Electronic properties of single-crystalline Fe4O5.
    Dalton Transactions (2023) https://doi.org/10.1039/d3dt00381g

    私は行けなかったので、指導教員(鍵さん)からJpGUで面白かった講演の話を聞いていたのですが、そこで明大の米谷さんの話題になり、最近出た論文 (S. Maitani+, PCM)を読んでいたらその関連論文でたどりついた仕事です。そちらの論文はいくつかのFe酸化物(Fe4O5, Fe5O6, Fe7O9)について電気伝導度の圧力依存性と(高圧下)温度依存性を調べた仕事で、特にFe7O9はけっこう値が違うよ、というのが面白いです(ここまでが長いイントロ)。今回バイロイトのグループからDalton Transactionsに出たのはFe4O5の高圧下の電子状態に関する考察で、背景には Fe4O5がmetalなのか、semiconductorなのか、という未解決問題があるようです(つまり、ホール定数が正か負か、すなわち、キャリアがelectronかholeか、であってますよね?)。結果が純粋に興味深く、polaron hopping energyがとても低いsemimetalと解釈する方がよい、という結論でした。また、単結晶資料に対して粉末試料が有意に高い電気抵抗をもつことを圧力を変えながら示しており、これがsemiconductorに見えるひとつの原因である、と述べられています。Fig. 4を見るとホール定数が単結晶と多結晶で全然違うのですが、本当にキャリアが違うということは……ないですかね。

    たとえば結晶粒界の影響など、さらに詳しく理解してみたいですが、どのような実験が必要なのかいまいち思いつかないです。冒頭の話に戻り、Fe酸化物がその組成によって電気伝導度を大きく変化させるのは非常に興味深い性質ですし、もし粒界が効くのであれば地球科学的にも面白いとか、たとえば不純物がある系における振る舞いとかにも興味が湧きます。

    Dalton Transactionsに出てくる論文はいろいろ勉強になるという感想になることが多い気がします。今回も、論文の構成が勉強になりました。電気抵抗やホール定数の見積もりといったデータを最初に提示し、それらを軸にして、反射率・IR吸収スペクトル ・XAFS・X線回折などの結果が紹介されます。とても明快に論旨を理解することができ、馴染みのない分野でしたが気持ちよく読めたので取り上げてみました。

    ところで、thermoelectric powerからcharge hopping conductivityを求めるパートは興味深いです。あまり詳しくないのですが、ここからスピンクロスオーバーに関する情報をextractすることはできるのでしょうか? 見た目、electron-electron interactionに関する情報は何らかのモデリングで抽出できそうですが、もしそれが可能なら、圧力領域の拡張によりFe4O5のスピン転移に関する情報も取れるかもしれません。もっとも、それよりもX線分光とかのほうがestablishされているし正確だよ、という話はあるでしょうが……。

  29. Evidence for Near Ambient Superconductivity in the Lu-N-H System.
    arXiv (2023) https://arxiv.org/abs/2306.06301

    Ranga Diasさんのところのラボから3月に出た室温超伝導論文が世間を騒がせて3ヶ月が経ちました。 正直、たくさんの反論論文を読みながらほぼ何かの間違いだったのだろうと思っていたのですが、ついに結果をサポートする論文が投稿されました。

    ちょっと期待が高まったのですが、正直、あまり状況が好転したわけではなさそうです。まず、今回のHemleyさんの仕事はDiasさんのラボから試料提供を受け、Diasさんのところで合成された試料に対して超電導を確認できた、というもので、合成自体に成功したわけではないからです。加えて、Lu水素化物に対する窒素のドープ量が重要であると主張していながら、一切の元素分析がありません。かわりに2021年には超電導性を示した物質が劣化して、ある反論論文で提示されたデータに近いnon-superconductingな状態になった、というデータを提示しています。しかし、超電導を示す試料の元素分析がなく、これでは肝心の窒素の量が重要であるという主張をサポートすることができないでしょう。というか、劣化サンプルのデータを示すだけでなぜそのような主張が可能なのかわからないですのですが、妥当な主張なのでしょうか(分野外の私としては素朴な疑問として、NよりHのほうが抜けやすそう、とか思ってしまうのですが、そうではないのでしょうか?)。今回の論文ではマイスナー効果の証明はされておらず、ゼロ磁場での抵抗のドロップを観測したにすぎない点も、超伝導の物理の観点からは見逃せないです。

    また、Diasさんのもとの論文では電気抵抗の温度依存性のプロットで2 mohm程度のけっこう大きなバックグラウンドが乗っており、それを人為的に引き算することでゼロ抵抗の証明に使っていたことが話題になりました。今回のarXiv論文では、 「データは自作のLabVIEWソフトで収集し、以後、一切のpost-processingをしていない」とあります。自作のLabVIEWソフトでbg除去したというオチではないことを祈りますが(冗談です)、methodを見るとほぼDiasさんのところと同じようなセットアップで取っているにもかかわらず、今回のデータにはほぼbackgroundが乗っておらず、Diasさんのラボのデータには乗りまくりなのは、やはりちょっとおかしいです。 彼らのグループはこれまでにも共著論文が複数ありますから、互いのラボのセットアップはそれなりに把握しているでしょう。 でしたら、なぜバックグランドにこれほど大きな違いが生じるのか、説明してもらいたいものです。 そこがこの室温超伝導関連の話を怪しくしている大きな要因であることは疑いようがないです。

  30. Dipole-Moment Modulation in New Incommensurate Ferrocene.
    Journal of Physical Chemistry Letters (2023) https://pubs.acs.org/doi/10.1021/acs.jpclett.3c00215

    Ferroceneの新規低温相(Phase I'')を報告しています。172.8-163.5 Kという狭い温度範囲で、室温常圧相とほぼ同様の空間平均構造を持つが Incommensurate な変調構造のある新しいフェーズが出てくるそうです。この変調構造はFeをサンドイッチする二つの環状構造が平行から少しずれるという構造ゆらぎ によって生み出されており、dipole moment modulationというタイトルがついています。 この相転移はDSCのベースラインが少し上がるようなanomaliyでわかるようですが、それでも温度範囲として一般的な実験で到達可能な範囲内にあるので、シンプルな分子で未知構造が潜んでいることには驚きがあります。

    SIの回折パターンにあるサテライトがとても綺麗です。

  31. A von Hámos spectrometer for diamond anvil cell experiments at the High Energy Density Instrument of the European X-ray Free-Electron Laser.
    Journal of Synchrotron Radiation (2023) https://scripts.iucr.org/cgi-bin/paper?S1600577523003041

    European XFELで高温高圧実験を専門とするビームラインHEDチームからの新着論文で、X-ray emissionの分光実験のための装置整備状況を報告しています。さすがに積算したものと同じとはいえませんが、X線レーザーの単発でもemissionのスペクトルの形はしっかり認識でき、フィッティングすればエネルギーがそれなりの精度で出せる程度の測定が行えるというのは驚きました。地球科学的な応用もできそうですし、HEDであれば(同時は無理かもしれませんが)同一試料の回折パターンも取得できるはずなので、可能性が広そうです。いつか使ってみたいな。

  32. Direct interpretation of the X-ray and neutron three-dimensional difference pair distribution functions (3D-ΔPDFs) of yttria-stabilized zirconia.
    Acta Crystallographica Section B (2023) https://journals.iucr.org/b/issues/2023/02/00/ra5126/index.html

    マテリアルの方々にはおなじみ?のcubic-YSZの精密結晶構造解析で、ドープされたY原子周辺に生じる酸素のsublatticeの欠陥の空間分布を調べています。3D-ΔPDFという手法が売りで、X線と中性子の散漫散乱パターンから3次元的な欠陥の分布を見られるということです。これ、結局かなり結晶構造解析的なセンスでできるので、むしろそのあたりの意味合いの違いをちゃんと理解できていないです。たとえば、MEMとかと本質的に違うのか、本質的には同じなのか……。

  33. Molecular Rotations, Multiscale Order, Hyperuniformity, and Signatures of Metastability during the Compression/Decompression Cycles of Amorphous Ices.
    The Journal of Physical Chemistry B (2023) https://pubs.acs.org/doi/10.1021/acs.jpcb.3c00611

    LDAをMD計算で押し引きしてHDAにしたりそれを戻してきたりする、という話。MD計算ではHDAを0 GPaまでもってきても完全にはLDAには戻らず、負圧まで引かないといけないということは知っていましたが、具体的に0 GPaまで引いてきたHDAはどれくらいLDAなのか、ということを議論している(と思っている)仕事です。

    話としてはいいんですが、実験屋としては実験でこれをどうにか定式化したいですよね。見るだけじゃなくて、定式化。全散乱とかなんでしょうね、たぶん。。。

  34. Dehydration of a crystal hydrate at subglacial temperatures.
    Nature (2023) https://www.nature.com/articles/s41586-023-05749-7

    内部空間を有する有機分子への水の吸着を調べた実験。温度を変えながら122点のXRDを取った、と聞いてふつうはpowder diffractionだと思いますが、なんと単結晶で全部構造決めていてたまげました。湿度を変化させるとある湿度で急激に水が吸着して中に入るようですが、そのときに色が劇的に変わるのが面白いです(しかし、なぜ?)。室温では吸着された水はdynamic disorderと書いてあるのですが、これはXRD測定からわかるものなんでしょうか? static disorderとの区別がどこでついているのかちょっと分からなかったです。

  35. Glass Polymorphism in Hyperquenched Aqueous LiCl Solutions.
    The Journal of Physical Chemistry B (2023) https://pubs.acs.org/doi/10.1021/acs.jpcb.3c01030

    Innsbruck大学Loerting Labからの新着論文で、常圧で10^6 K/secという非常に速い速度で急冷したLiClガラスの構造についての実験的報告。実験がとても網羅的でたくさんあり、純粋に驚きましたし、第一著者のGiebelmannさんは2021年〜修士で研究室にいるということなので、同学年! 同世代の良い仕事を読んでとても刺激になりました。

    内容は総じて面白かったのですが、私が興味深いと感じたのは、pure LDAとLiCl-solution LDAをそれぞれ加圧していったとき「高密度状態」になるのですが、LiCl-dopedの系では、それはLiCl-H2O HDAと呼んで良いものなのか、ということを調べるために行われた実験のデザインです。 彼らのセットアップでは高圧をかけながら取得できる情報が密度変化しかないので、基本的にそれ以外の測定は液体窒素下で常圧に回収して行われます。LiClの濃度を上げていくとLDA→HDAに対応する一次相転移的な密度変化が連続的に起こるようになりますが、このように得られた高濃度LiClの高密度状態がLDAとは異なる性質をもつことを常圧でのXRDとDSC測定で実証するために、加熱して相転移の様子を観察するという実験が行われます。この際に先述のような結論がどのようなdiscussionを経て導かれるのか、という観点が非常に興味深く、実験データを論文にする技術として、とても勉強になりました。いつものことですが、これからもこの研究室からの論文がとても楽しみです。

  36. Novel non-Joule heating technique: Externally laser-heated diamond anvil cell.
    Review of Scientific Instruments (2023) https://aip.scitation.org/doi/10.1063/5.0122111

    廣瀬先生のところの仕事で、DACを使った高温高圧実験の際、ガスケットに吸収体を取り付け、そこをレーザー加熱するという新しい方法を提案しています。 いわゆるふつうの外熱DACで必要な複雑な配線が必要ないだけでなく、加熱効率が高い一方で局所的にレーザー加熱するのでDAC全体は室温に保たれるのが長所です。 気になる温度勾配についてはシミュレーションの結果が示されており、ガスケットの穴径が100 µmの場合、試料室内の温度勾配は数 K以内に抑えられるという試算です。

    よさそう!

  37. Revisiting the melting curve of H2O by Brillouin spectroscopy to 54 GPa.
    J. Chem. Phys. (2023) https://doi.org/10.1063/5.0137943

    ETH 村上先生のチームからの論文で、約25 GPa以上くらいの領域で現れるとされている超イオン (SI = Superionic) 相の存在根拠になっている融点の不連続性が確認できるか、という実験。レーザー加熱の際の吸収体を入れない、ルビーではなくダイヤモンドのラマンで圧力を決めるなど、試料室の中に水だけを入れて望ましくない反応が起こらないように注意深く実験されています。融点以前にこの論文で報告された重要な結果があります:SI-ice であるとされているice XXを報告したPrakapenka et al. (2021, Nat. Phys.)において、吸収体を用いたYAGレーザー加熱が使われており、これを追実験するとRamanスペクトルに氷(とダイヤモンドアンビル)では説明できないピークが現れる、というものです。これが具体的に融点にどのように影響を与えうるかということは詳しくは議論されていないように思いますが、可能な限りこの仕事のように吸収体なしでCO2レーザーを使う方が良い、というメッセージを受け取りました。

    BrillouinスペクトルにはSI氷のelasticityに関する情報も含まれるはずですが、それを抽出するのは難しいそうで、この論文では詳しくは検討されていません。しかし、融点のデータはPrakapenka et al.で示されたような相転移的な挙動はなく、圧力に従って単調に増加するという結果でした。

    レーザー加熱をやっていない私からすると、結局レーザー加熱の温度の精度と温度分布の影響はどうなんだろうか、という感想です。また、いくら計算で予測されていても「異なる相が存在する」=「超イオン相である」というのは言い過ぎに思うので、やはり氷の水素の状態に関する直接的な情報がほしいですね。 この論文、温度の推定に関する記述は他の仕事と比べて丁寧に感じたので、その点はありがたかったです。

  38. Search for ambient superconductivity in the Lu–N–H system.
    arXiv (2023) https://arxiv.org/pdf/2304.04447.pdf

    例の室温超伝導論文に関連する理論計算の仕事で、これまで出てきた中では網羅的な仕事に感じます。まず常圧のLu-N-Hの相図を作り、その中から超伝導転移温度の高そうなものをリストアップするという構成(あってる?)で、室温付近で超伝導になるものは見つからなかったようです。わたしが興味深いと思ったのはいくつかの上位候補に対してPDOSなどを計算して詳細に議論したパートで、元論文のXRDからsuggestされるFCC構造のものはRamanバンドの数が一致しないとか、超伝導性にこだわらない物理的な議論が展開されている部分です。また、この理論計算の中で(低温で)超伝導になった物質において、水素のsublatticeはマイナーなcontributionしかしておらず、メインは金属のlatticeが寄与している、というのも興味深いです。

  39. Atomic-Scale Dynamics at Solid-Liquid Nanointerfaces Induced by Electron-Beam Irradiation.
    Nano Letters (2023) https://pubs.acs.org/doi/10.1021/acs.nanolett.2c03838

    あまりこういう基礎研究のイメージがなかったですが、SonyのR&Dチームからの論文で、固液界面のHAADF-STEM観察における電子線照射の影響を調べた仕事。 Pb-PbSのナノ粒子をいい感じの温度に持っていくとPbが溶けてPbSが結晶であるような部分が作れる。この界面がきれいに見えているのが面白い。今回のセットアップで200秒くらい電子線照射すると完全に溶け切ってnano dropletになるという結論のようだ(Fig 2)。面白いのはその速度論的な議論を試みているところで、結晶表面のステップの直接観察とその時間追跡には感嘆。

  40. Double-slit time diffraction at optical frequencies.
    Nature Physics (2023) https://www.nature.com/articles/s41567-023-01993-w

    ヤングの二重スリットの回折実験は、空間内に分布したスリットを使って波の干渉を見る実験ですが、代わりに時間方向に分布したスリット(ある特定の時間だけ開くスリット)を使った時間方向に回折するのではないか?という仮説を実験的に証明した論文。あまり細かいところよくわからないけどすごい。

  41. An inclined detector geometry for improved X-ray total scattering measurements.
    Journal of Applied Crystallography (2023) https://scripts.iucr.org/cgi-bin/paper?S1600576723001747

    X線全散乱測定において、ビームに垂直ではなく、傾いた検出器を使うという提案。垂直のものに比べてアクセスできる領域が広がり、かつ広角領域のS/Nの向上につながる。シンプルだけれど面白い工夫!

  42. Machine-learning-assisted automation of single-crystal neutron diffraction.
    Journal of Applied Crystallography (2023) https://onlinelibrary.wiley.com/iucr/doi/10.1107/S1600576723001516

    機械学習で中性子単結晶回折実験の自動でできるところを増やそうという論文。基本的にはピークを探し、UBを計算して指数をつけるという流れですが、たとえばpowderのリングの上に単結晶からのスポットが載っているときにどうするか、のような実践的な問題に対する検討が行われています。個人的にはデータをreductionしたあとにその質を評価し、ダメだった場合にpeak findingまで戻るというスキームがなるほど、と思いましたが、機械学習的にはこれが一番自然なスキームなのかもしれません。

  43. Direct observation of crystal degradation behaviour in porous crystals under low-dose electron diffraction conditions.
    Chemical Communications. (2023) https://pubs.rsc.org/en/content/articlehtml/2023/cc/d3cc00506b

    電子線照射に対してMOFの結晶がどれくらいか壊れやすいかを定式化したい、という話。 基本的にはlow-doseで観察したいけれど、low-doseすぎるとdiffractionが弱すぎて議論できない、とかいろいろ問題があることが伝わってきた。今回は横軸が時間(つまり照射された総電子量)だけど、電子線一発のエネルギー(加速電圧)とかも最適化することができるんだろうか? あるいはそれはそんなに関係なくてあくまでtotal doseだけが効く?

    結論としてはスカスカで結合が弱くて壊れやすそうなMOFほど壊れやすいという結論で良いっぽい(こんな雑にまとめたら怒られそう)。

  44. Volumes and spin states of FeHx: Implication for the density and temperature of the Earth’s core.
    American Mineralogist (2023) http://www.minsocam.org/MSA/Ammin/AM_Preprints/8237ZhangPreprint.pdf

    鉄水素化物の理論計算の論文で、地球科学の雑誌に出ていますが中身は計算による結晶構造と物性の予測です。私はこういう計算実験がどれくらいやり尽くされているのかよく知らないのですが、USPEXで構造予測 → DFT → MD → フォノン計算, スピン転移計算, strain-stress計算という流れでミクロな結晶構造からマクロな物性量がシミュレーションされていくのがとても面白く、興味深く読みました。

  45. Tracking cubic ice at molecular resolution.
    Nature. (2023) https://www.nature.com/articles/s41586-023-05864-5

    原子分解能クライオ透過電子顕微鏡で氷Iの積層不整を直接見るという仕事。以前も Microscopy and Microanalysis 誌にこういう仕事がありましたが、今回は別グループからの論文で、かつ議論をもっと詳しくやっているという印象です。

    実験はまずvapor depositionで氷をTEM grid上に作るところから始まりますが、この過程がin situでトラックされており、そこそこの時間分解能があるというのがひとつめの私の驚きです。また、単純なレイヤーのスタッキングの欠陥ではないようなかなり歪んだ欠陥も可視化されており、これは中性子やX線ではどうやってもモデルを立てるのが無理なところなので、大変興味深かったです。最後の方で欠陥のダイナミクスとdoseの関係が議論されているのですが、このあたりのメカニズムはよくわからないところもありました。

    「普通の氷」でもまだまだ面白い実験ができるというところに元気が出ました。

  46. Molecular rotation induced giant, anisotropic negative thermal expansion in a hydrogen-bonded coordination framework.
    Inorg. Chem. Front. (2023) http://xlink.rsc.org/?DOI=D2QI02265F

    負の熱膨張は分子の結合に対して直交方向の振動が引き起こすことが多い(らしい、この論文のアブストで知った)が、今回調べられたZn系のリガンド間に水素結合がある(それらで形作られる四角い空間に水分子が入っている)錯体では分子回転がそれを引き起こしているという内容。熱膨張が温度領域によって全然違う挙動をしている(Fig. 2(a))ところがまず純粋に面白く、それにきわめてシンプルな理由づけを与えている点が興味深かった。実験はシンプルで温度を変えながら粉末と単結晶のX線回折をやり、構造を解いてリガンドの回転角度などを議論している。Ref. 34などを読んで界隈でのこれまでの議論の流れを追わないと理解しきれないなと感じた一方で、結晶構造のlatticeの情報とmotifの情報がインタラクティブにつながっているのはexcitingですね。

  47. Structural resolution of a small organic molecule by serial X-ray free-electron laser and electron crystallography.
    Nature Chemistry (2023) https://www.nature.com/articles/s41557-023-01162-9

    XFELでの微小結晶の連続測定で結晶構造を決める話か〜と思って読みはじめたら水素の位置をちゃんと決められているということが書いてあって二度見した、結晶の質とか要求される分解能とかにも依るということはわかるんですが、中性子をやっている人間からすると安直に「X線や電子線では水素の位置は決められない」と言わないほうがいいのかもと思ったり思わなかったり(結局、結晶ができるかというところと、要求される水準で、相補的な議論に落ち着くんでしょうが)。

    座標はX線、電荷は電子線のほうが信頼性が高いという結論は、電子線の方はクーロン場全体が散乱に寄与するぶん直感とは合っている気がしました。それが定量化できているのがえらいんでしょうが、氷の研究をしているとたとえば水素にdisorderがあるような結晶とかはどうなんだろ、とかすぐ思ってしまいます。

    とにかく小さい結晶で結晶構造解析できるというのがえらすぎる、これは中性子の超えられない欠点で、大きな結晶ができない物質はごまんとあるので。

  48. Evidence of Formation of 1–10 nm Diameter Ice Nanotubes in Double-Walled Carbon Nanotube Capillaries.
    ACS Nano. (2023) https://pubs.acs.org/doi/full/10.1021/acsnano.3c00720

    計算化学の論文で、MD計算を大規模な系でやってみたらカーボンナノチューブの中にアイスナノチューブができる、という内容。そもそも親となるカーボンナノチューブに十分な空間を担保するためにdouble-wallのチューブを使っているところが工夫。チューブの単位となる水素結合の構造によって融点がどうなるか、というのが異なり、うまいことできると室温以上になるという面白い結果が得られている(かつ、これらは部分的には実験と整合的な結果である)のが面白い!

    実際には反応の途中で巨大なカーボンナノチューブが崩壊するだとか、カーボンナノチューブの外側の状態はどうなってるのかとか、最終的にどうやって構造解析すればいいのかとか、実験のことを考えると色々課題がありそうですが、これを理論に寄せていくのは意味がありそうと直感的に思いました。

  49. In situ study of iron phase transitions at high pressure and temperature over millisecond timescales via time-resolved X-ray diffraction.
    arXiv. (2023) https://arxiv.org/pdf/2303.08857.pdf

    レーザー加熱 dynamic DACで 500 GPa/secほどの速い加圧をした際に鉄の相図(alpha-epsilon = fcc-hcp, gamma-epsilon = bcc-hcp boundaries)がどうか、という研究で、XFELではなく放射光(APS)でのミリ秒分解XRD測定。主に放射光での時分解測定というテクニカルな興味で読んだ。 一つは、相転移境界が非静水圧性によるものではないということを保証するために軸比による簡単な議論を加えているところがえらい。これサブミリ秒とは言わずとももう少し点が増やせたら相転移境界とかもう少しはっきり数値的に決められる気がするんですけど難しいんですかね。

  50. Influence of modelling disorder on Hirshfeld atom refinement results of an organo-gold(I) compound.
    IUCrJ (2023) https://scripts.iucr.org/cgi-bin/paper?S2052252522005309

    まぁ十分いいよね(>~0.8 A)の分解能のX線回折データがあれば水素原子を議論できるよう、理論計算に基づいた構造モデルを構築する手法(Hirshfeld atom refinement: HAR)について、通常HARはdisorderのあるようなモデルには適用できないが、disorderした結晶に対して適用した場合にどうなるか、ということを調べた仕事。計算に明るくなく、結局計算パートにdisorderを入れる部分でなにがえらいのかがよくわかっていないのでもう少し勉強する。

  51. Au10Ag17(TPP)10(SR)6Cl5 Nanocluster: Structure, Transformation and the Origin of its Photoluminescence.
    Phys. Chem. Chem. Phys. (2023) https://pubs.rsc.org/en/content/articlehtml/2023/cp/d3cp00459g

    流行り(と私が認識している)配位子保護金クラスターの一部銀置換による発光挙動の劇的な変化を報告した論文。Au10Ag17ではほぼ発光がないが、銀を11-13個の系にすると発光(この場合は蛍光)するようになるらしい。これをこの論文では2つのicosahedralの頂点におけるLUMOのlocalisationにあると述べている。

  52. A pressure-induced high-pressure metallic GeTe phase.
    J. Chem. Phys. (2023) https://aip.scitation.org/doi/10.1063/5.0143506

    3/17にオンライン公開になった論文で、DFT計算によりGeTeの高圧未知相を予測している。Fig. 2(a)のエンタルピーのクロッシングにより30 GPa付近で一瞬この未知相が有利になる領域が現れるらしい、アツい!

    私があまり第一原理計算に詳しくなくわからないのですが、こういうセットアップでのエンタルピーにはどの程度の「信頼性」があると考えることができるのでしょうか?

  53. Atypical Magnetic Behavior in the Incommensurate (CH3NH3)[Ni(HCOO)3] Hybrid Perovskite.
    J. Phys. Chem. C (2023) https://pubs.acs.org/doi/full/10.1021/acs.jpcc.2c08364

    低温ですごい変調構造が出てくる(incommensurate: unit cellの整数倍ではない変調構造)。水素結合性(というくくりで良いのかわからないけど)の相転移でこういうのが出てくると純粋に面白い。これ磁気転移なんですが、結局構造が変調していることと磁気構造の関連性がいまいち理解できていないので、もう少し読み込んで勉強してみたい。

  54. Expression of Concern: Colossal Density-Driven Resistance Response in the Negative Charge Transfer Insulator MnS2 [Phys. Rev. Lett. 127, 016401 (2021)].
    Phys. Rev. Lett. (2023) https://journals.aps.org/prl/abstract/10.1103/PhysRevLett.130.129901

    不適切な引用(自己剽窃?)疑惑がもちあがり、共著者が撤回を提案していたRanga Diasグループ等のPRL論文、Editorが懸念を表明。Dias、やっぱりクロなのか......?

  55. Real-space observation of a two-dimensional electron gas at semiconductor heterointerfaces.
    Nature Nanotechnology (2023) https://www.nature.com/articles/s41565-023-01349-8

    DPC-STEMによるヘテロ界面上のチャージの可視化。見えるのもえらいが、定量性があるのがえらい。

  56. Quantification of the Shell Thickness of Tin Oxide/Gold Core–Shell Nanoparticles by X-ray Photoelectron Spectroscopy.
    J. Phys. Chem. C. (2023) https://pubs.acs.org/doi/10.1021/acs.jpcc.2c07832

    XPSでCore-shell nanoparticleのモルフォロジーパラメータを決めようという話(この論文がやってるのはSnO@Au)。内実はXPSのスペクトルをちゃんと計算でシミュレーションしようという話なんですが、ふつうにこんな正確にできるんですか?

  57. Ambiguity in indexing electron diffraction patterns of R-3 crystals.
    Acta Cryst. A. (2022) https://onlinelibrary.wiley.com/iucr/doi/10.1107/S2053273322008907

    R-3の空間群をもつ結晶の電子線回折パターンを指数づけしようとすると間違えることがあるよ、という注意喚起らしい。2110, m001, m-110といった対称性は本来は持たないが、電子回折パターンではそれらの操作が存在するかのように見えることがある、という内容です。 要約できるほどの実力がないのですが、dynamical scatteringが効いてないはずの対称操作が見えてしまってzone axisを取り違えるという話なのですが、R-latticeではなくてR-3に特有な問題(なんですよね?)なのがまだ理解できていないですね。この空間群なんだかんだお世話になっているのでもう少しちゃんと読み込んでおきたいです。というか、cubicのF2-3とかって、R-3ですし……。

  58. Incorporation of rare earth elements into (Ba,Ca)2(CO3)2.
    Solid State Sciences (2023) https://linkinghub.elsevier.com/retrieve/pii/S1293255823000213

    (Ba,Ca)2(CO2)2にどのような希土類元素が入るかという話。地球化学的な意味は私はよくわからないが、著者のメインフォーカスも地球化学ではないっぽいのが不思議だ(どこにモチベーションが?)。 面白いのは、一つは(Ba,Ca)2(CO2)2の空間平均構造を説明するmonoclinicの結晶構造モデルを提案していることで、このあたり時間がなくてあまり追えていないが、カルサイトの空間群R-3cとかとの結晶学的なつながりはどうなっているのか、というところ。また、目に見えて違った色になるのも面白い! これはどこからくるのだろう。そもそも、どれくらいのレアアースが入っている?

  59. Addressing Open Issues about the Structural Evolution of Methane Clathrate Hydrate.
    J. Phys. Chem. Lett. (2022) https://pubs.acs.org/doi/full/10.1021/acs.jpcc.2c05824

    なぜメタンハイドレートの結晶は氷の結晶よりも安定領域が広いのか?という問題にRamanとFT-IRでひとつの答えを与えている。面白いです。

  60. Evidence of near-ambient superconductivity in a N-doped lutetium hydride.
    Nature. (2023) https://www.nature.com/articles/s41586-023-05742-0

    Dias labからの最新論文で、APS meetingに合わせて発表されました。あまりにいろいろツッコミが入っているので多くは書きませんが、うーん、データが、怪しい......? そもそもデータが怪しくなかったとしても、電気抵抗の温度依存性のプロットは、そのバックグランドの引き方で超伝導になるんでしょうか? むしろ超伝導を仮定してbgを差し引いたというようにも見えます。

    私は超伝導の専門家ではないので、あまり突っ込んだコメントはできませんが、少なくとも粉末XRDパターンは実験室で測定されたものとしては極めて不自然です。 図中にピーク位置の表示がありますが、よく見ると1本の反射が2本に分裂したような書き方になっています。これは特性X線のKα1線とKα2線の寄与であると考えられます。単色化をしない場合、通常はKα1線とKα2線の強度比は2:1になりますが、提示されているBraggピークはどれも対称なピーク関数でフィットすることができます。したがって、実験データとされているものはKα1線とKα2線が混じり合ったX線ではなく、綺麗に単色化されたX線による散乱データと思われますが、これは1本の反射に2本のティックスがついていることと矛盾します。今回使用されているRigaku SynergyにはKα1線のみを取り出せるモノクロメータのオプションはあるようですので、そういった装置で単色化されている可能性はありますが、そうすると強度が桁で落ちますので、相当長い時間をかけないと今回のようなノイズレベルにはならないように思います。もちろんそういう完璧に近いセットアップで測定された可能性もありますが、他の実験データを見ても綺麗すぎるという指摘が複数あることを考えると、ほんとうに実験室で測定されたデータなのか疑問が出てくるのは致し方ないと思います。

    ちなみに、今回の圧力はnear-ambientとされていますが、実用には圧力が高すぎると思われる方もいるでしょう。もちろんそれは正しいのですが、今回の圧力であればダイヤモンドアンビルセル(DAC) を使わなくても、クランプ型のピストンシリンダーセルなど、mmスケールの大容量セルで発生できる圧力です。たとえば、DACを電気回路に組み込むのは難しいですが、ピストンシリンダーであれば両側に導線をつないで回路に組み込むことも可能だと思います。そういった意味では、今回の報告が本当であれば、こうした超伝導体の実用にかなり近づいていると感じます。

  61. Substitutional NaCl hydration in ice.
    Phys. Rev. B. (2007) https://link.aps.org/doi/10.1103/PhysRevB.75.214113

    氷IにはNaClが取り込まれないが、計算でいい感じに入れてみたら案外きれいに入ったよという話。入れ方が人工的という話なのかもしれないが、NaとClイオン自体が水素結合ネットワークを破壊することで塩が入らないのかなと思っていたので、こういう結果は面白い。実験側から歩み寄ってみたいですが……?